年を取ったせいかしら……
時間が過ぎるのが早く感じるようになっていたのは、それだけはない?
追い立てられるように……
11月ももうすぐ過ぎようとしています。デパートや街並みはクリスマスのディスプレイに彩られ、クリスマス気分を盛り上げますね。
でも、クリスマス商戦は10月ごろから始まっていますね。9月頃に、TVでクリスマスケーキやチキンのコマーシャルを見た時には、吹き出しました。
そして、クリスマスが終わると、一気に、正月ムード。正月が終わると…… 恵方巻き?
何か、こう、先へ先へと、追い立てられるように、急がされている感じがするのは、私だけでしょうか。
いつだったか、正月が終わって、ひな祭りのコマーシャルを見たときは、驚きを通り越して、悲しくなったのを覚えています。
時間に向き合えない人の人生は短いとは?
人生の短さについて、哲学者セネカがこう説いています。以下、「人生の短さについて」(光文社)より一部抜粋です。
「過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる人たちの生涯は、きわめて短く、不安に満ちている。この哀れなひとたちは、死が間近に迫ってから、自分が長い間、多忙ばかりで、なにも意味のあることをなしてこなったことに気がつく。しかし、そのときは、もう手遅れなのだ」と。
ここで、セネカは、多忙というのを、仕事に忙しいという意味ではなく、時間を浪費する状態を多忙という意味で使っています。
「空いた時間はいつでも、退屈にあえいでいるのだ」だから、「次から次にいろいろな楽しみに飛びついていき、ひとつの欲望のうちにじっと留まることができないのだ。」と言っています。
まるで、次から次へと娯楽に急かされる今の世の中の状態を言っているような気がしました。
セネカは、過去に向き合わず、現在を己のなす意味に従って生きることなく、時間を浪費して生きているから、あっという間に人生は過ぎ去って行くのだと説いています。
耳の痛いお話しです。
時間泥棒は誰か?
時間泥棒は誰なんだろう?
先へ先へと、娯楽や季節商戦を繰り出す企業。そして、消費を煽るマスコミがそれを支えている構造にあると思います。
朝、何気に見ているTVやニュースまでもが、今流行っているといって、食べ物やグッズを紹介して消費行動を誘導しています。最近は、財布の紐を緩めるために、仕組まれているのではと疑ってしまいます。
新商品を手に入れるために、前日から並び、大切な人生の時間を浪費している姿はとても哀れな気がします。
長い人生を送るために
何かに振り回されるのではなく「毎日を、人生最後の日のように生きる」ことだとセネカは言っています。
それは、つまり、浪費ではなく、主体的に、自分のために有意義な時間を過ごすこと。
よく、今日死んでも後悔しない人生を送ることが最良の幸せだと聞きます。一生懸命に生き、後悔せずに死を迎えたいものです。
まさに、そういう状態こそが、自分の人生を長く有意義に生きることに繋がるというのです。
「毎日を人生最後の日のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない」
「未来のことは、運命の思い通りにさせてやればよい」
勇気をもらえるいい言葉です。
早期退職した意味
セネカの著書「人生の短さについて」という本は、3か月前ほどに出会ったのですが、ここに書かれている内容を見たとき、震えるくらい感動しました。
私が、2年前早期退職を決意した理由が、まさに、セネカが言う、毎日を、人生最後の日のように、後悔せず生きたかったからなのです。
当時、実際、残りの時間を計算してみました。睡眠時間を差し引き、そこから、労働時間で拘束される8時間、通勤時間1時間、食事時間等を差し引くと、自分の人生の時間が何と少ないことか……
それを知らずに生きていた自分が恐ろしくなりました。
若い頃は時間は無限にあると思っていたのに、残りの人生がこんなにも少ないとは。定年してからやっと自分のしたいことをしようと思っても、足腰が効かなくなってからでは遅いと切実な気持ちになりました。
同じように、人生の短さについて悩みを持つ方には、是非、セネカの著書「人生の短さについて」を読んでみることをお勧めいたします。
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